あの日のことは、今も鮮明に覚えています。
2014年5月21日。
羽生善治三冠が4連勝で悲願の名人復位を果たし
「柔らかい手~個人的将棋ブログ」が最高アクセス数を更新し
アメブロゲームランキングで初めて1位を獲得した日。
この日の夜
天野さんの「遠隔転移」、ガンの再発が発表されました。
名人交代劇の直後の興奮もあってかなり動揺したことを
今も鮮明に覚えています。
天野さんの存在を初めて知ったのは2008年頃。
羽生名人を相手に渡辺明竜王が開幕3連敗からの4連勝という
史上初の大逆転勝利を飾った第21期竜王戦をきっかけとして
再び将棋を見始めた頃、間もなく。
当時、天野さんは奨励会三段で
今のようにSNSが発達していなかったにも関わらず
すでにかなりの知名度と人気を誇っていました。
とにかく記録係を多くつとめていて
どのタイトル戦であっても番勝負中に必ずと言っていいほど
天野さんの名前を見つけることができました。
第21期竜王戦では第3局で記録係をつとめ
たまたま年末に放送された竜王戦特集番組に映し出された
天野さんの和服姿は今も懐かしい思い出の一つです。
その存在を知ってすぐに、すっかりファンとなり
安食総子女流初段と共同書かれていたブログなどを
楽しみに拝見していました。
しかし、期待されたプロ棋士への夢は叶わず。。
燃えろ!天野三段!。。明日より、運命の第50回奨励会三段リーグ開幕!
奨励会最後の2年間は
三段リーグの結果が出ると真っ先に天野さんの名前の欄を
確認しながら応援していましたが、残念ながら年齢制限に到達した
第50回三段リーグを持って、奨励会退会を去ることに。。
奨励会退会後も
ブログなどで天野さんの存在を気にしていましたが
ある時、facebookに天野さんからの友達申請が届いた時は
驚いたと同時に、本当に嬉しかったです。
当時、天野さんは将棋の普及活動の一環としてでしょうか
将棋ファンの方に大量に申請を送られていて、私はたまたま
どなたかのつながりで名前が出ただけなのでしょうが。。
勝負師らしく、無頼で明るい天野さんは
専門誌やネットを通して感じていたイメージそのまま。
将棋と関わりながら第二の人生を前向きに切り開こうとする
天野さんの姿をfacebookを通じて拝見出来る事を
楽しみにしていたのに。
舌癌に冒され
壮絶な闘病生活に入られたのはその直後のこと。
以来、天野さんの投稿は欠かさず読ませていただき
賛同と応援の意味を込めて「いいね!」のボタンを押させていただきました。
しかし、メッセージやコメントを送ることは出来なかった。
末期癌と診断されてもなお
前向きに強く、病と向き合う天野さんにかける言葉を私は持っていません。
「頑張って!」と「無理せずお大事に」と心の中では願っても
全身全霊をかけて戦う天野さんに語るべき言葉とは思えなかった。
あの日も
ブログにたくさんのアクセスをいただいたお礼を書く時も
天野さんのことにふれるべきか、否か。。何度も迷って手を止めました。
羽生さんが名人に復位した日。
将棋が世間から大きな注目を集めた日。
この日を「天野さんい捧げたい」「天野さんとともにある」と
何度も書いては逡巡し、消しては書いてを繰り返し、結局
天野さんのことにはふれませんでした。
天野さんが、私の思う天野さんが望む言葉とは思えなかったから。
私の思う天野さんは勝負師ですよ。
強気に、ハッタリを利かせながら、ヤマを張るように
病におかされても他人事のように投稿を続ける姿も
私には心底、格好良く映りました。
その思いは、最後まで
初めてその天野さんの存在を知った時から、最後まで
一度も変わることはありませんでした。
そしてこれからも、変わることはありません。
羽生さんが王座防衛を果たした翌日。
天野さんがお亡くなりになったと知りました。
その日のfacebookのタイムラインには
天野さんを偲ぶ投稿で溢れかえりました。
多くの人に愛された天野さん。
その悲しみ、そして喪失感の何と大きかったことか。。
実はこの文章も
天野さんが旅立たれた日の夜に書いたものです。
しかし、公開する気持ちにはなりませんでした。
あの鮮明な日と、同じ気持ちで。
しかし、本日
天野さんの葬儀が終わったことを知り、個人的に
天野さんを偲ぶ意味で公開させていただきます。
天野さんの投稿に
私がコメントさせていただいたのは、一度だけ。
天野さんは他の誰よりも和服の似合う格好良い棋士でした。
出会えて嬉しかったです。ありがとう。さようなら。