この瞬間、あの瞬間。

第37回将棋日本シリーズ/決勝「豊島七段、光り輝く初優勝!」

【 投了図・96手目△7六金打 】
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昨日、「東京ビッグサイト」にて行われました
大きな注目を集めた第37回将棋日本シリーズ/決勝戦
「佐藤天彦名人-豊島将之七段」は、上図96手までで
豊島七段が見事勝利。待望の棋戦初優勝を飾りました。

棋譜中継はこちら
「関西若手四天王」の一角を担うこともあって
豊島七段は関西の棋士とのイメージが定着していますが
もともとは愛知県一宮市の生まれであり、我が地元・愛知では
「ご当地棋士」として、高い人気と厚い支持を得ます。

個人的な豊島七段のイメージは「統治者」。

背筋をピーンと伸ばし、相手の目を真っ直ぐに見て
聞く耳を持ち、自分の言葉を返す。

昨年の5月に一宮市で開催された
中澤沙耶女流初段のプロ入り記念パーティでみた
豊島七段の姿は、なるほど人の上に立つ人の人格と自覚を
自然と周囲に感じさせるものでした。

あの時は
棋士によっては早指しで雑なものともなる多面指しで
ひとりひとりに時間を使い丁寧な指し回しで模様を導く
豊島七段の指導対局も話題となりました。

デビュー以来、安定して高い勝率を誇りながらも
急所の対局をことごこく落とし、26歳となった今期まで
タイトル獲得、そしてA級到達を達成することが出来ず
無冠の大器とも囁かれ始めた豊島七段。

歯がゆい足踏みが続く中
「関西若手四天王」の盟友である稲葉陽八段、糸谷哲郎八段
そして、デビュー当時からのライバルである佐藤天彦名人に
出世争いで遅れを取り、焦燥と悔しさを嚙みしめました。

その意味でも、かつて新人王戦の決勝三番勝負で競り負け
「A級、八段」どころか、夢の名人獲得までも先を越された
佐藤名人を破っての初優勝はより価値を高め、ファンにとっても
胸のすく、最高の結末にして新たな章の始まりとなりました。

将棋界屈指のオールラウンダーである研究将棋の申し子は
様々な棋士が主宰する各種研究会にひっばりだことなって
多い時は月の半分は研究会に参加していると語りましたが
それも昔の話、今は研究会よりも将棋ソフトを相手にして
ひとりで黙々と研究を積み重ねているとのこと。

今期8割以上の勝利率で快進撃を続ける
好調さを支えるのはソフトとの研究の成果も大きいはず。

また、豊島七段と言えば
6年前に行われた第68期名人戦7番勝負で
羽生善治名人(当時)に挑戦した、三浦弘行八段(同)の
研究パートナーをつとめたことでも知られます。

この時の名人戦は羽生名人が開幕4連勝を飾り
ストレート防衛を果たしましたが、一つの名場面を生みました。

持ち時間を使い切り、1分将棋となった最終盤の土壇場で
手番の三浦九段は手にして金を盤上に打ち下ろすことが出来ず
59秒まで読まれたところで投了を告げた第3局のあのシーン。。

「ここで金を打てば、これまでの棋譜は乱れて泥仕合になる。
自分の中で、こんな手を指すわけにはいかないという気持ちが
あったのかもしれない」と、のちにこの場面での胸中を語った
三浦九段の美意識の高さと高貴な誇りに感動したことを今でも
鮮明に思い出します。。

当時五段だった豊島七段を研究パートナーとした慧眼と
終局後、全身全霊を使い果たし前のめりに倒れこみながらも
名人戦の晴れ舞台で棋譜をぶち壊すような手は指せないと
ギリギリのところで美学に殉じた三浦九段の姿。。

豊島七段初優勝の夜
不思議とあの時の三浦九段が思い出されました。

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